ヴィクトル・ススリン
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1946年に4歳でピアノの学習を始め、最初の作曲を試みる。1950年から1962年までハリコフ音楽高等学校に通い、1961年から1966年までハリコフ音楽院で作曲をディミトリー・クレバノフに、ピアノをヴィクトル・トピリンに師事。1962年から1966年までモスクワ国立グネーシン音楽学校において作曲をニコライ・ペイコに、ピアノをアナトリー・ヴェデルニコフに師事。
1966年から1980年までモスクワの国営楽譜出版社「ムズィカ」に編集者として勤務。1967年にソ連作曲家同盟の会員となる。1969年に《ピアノ・ソナタ》によって新人作曲家コンクールに入選し、1971年には初めて国外で(ルーアン音楽祭で)自作が上演された。1972年から1975年までモスクワ音楽院で管弦楽法を指導する。1975年にはヴャチェスラフ・アルチョーモフやソフィヤ・グバイドゥーリナと、即興演奏グループ「アストレヤ(Астрея)」を結成した。
1979年11月に数作がパリやケルン、ヴェネツィアで上演された後、ソ連作曲家同盟第6回会議において「フレンニコフの7名」として公然と指弾された。1981年に西ドイツに亡命し、1984年からハンブルク・ハンス・シコルスキ楽譜出版社に編集者として勤めた。
主要作品一覧
管弦楽曲
- 交響詩 (1966年)
- ピアノ協奏曲 (1966年)
- ヴァイオリン協奏曲 (1969年)
- 小交響曲(Sinfonia piccolo) (1970年)
- 御達者で(Leb' wohl) (1982年)
- チェロ協奏曲 (1996年)
室内楽曲
- ヴァイオリン・ソナタ (1962年)
- 弦楽四重奏曲 (1963年)
- フルート、ギター、チェロのための《トリオ・ソナタ》 (1971年)
- 4つのヴィオラのための《(イタリア語: Gioco Appassionato)》 (1974年)
- ヴァイオリン、チェンバロ、コントラバスのための《夜更けの音楽(ドイツ語: Mitternachtsmusik)》 (1977年)
- 打楽器アンサンブルのための《テラリウム(ラテン語: Terrarium)》 (1978年)
- 無伴奏チェロ・ソナタ《気が触れた唄(フランス語: Chanson contre raison)》 (1984年)
- ヴィオラとチェンバロのための《気紛れなソナタ(イタリア語: Sonata Capricciosa)》 (1986年)
- ヴィオラ、チェロ、コントラバスのための《遠くへ越えて(Crossing Beyond)》 (1990年)
- バスフルート、ギター、チェロ、打楽器のための《けがれなき悲しみ(フランス語: Le deuil blanc)》 (1994年)
- 古楽器アンサンブルのための《(Hommage à "Hortus" by a Musicus)》 (1996年)
- コントラバスのための《夜明けの音楽(ドイツ語: Morgendämmerungsmusik)》 (1997年)
- 2つのチェロのための《マドリガル(Madrigal)》 (1998年)
- チェロとピアノのための《ロ音(ドイツ語: Ton H)》 (2001年)
- コントラバスとオルガンのための《ラーガ(Raga)》 (2006年)
ピアノ曲
- 子どものための音楽 (1961年)
- 5つのピアノ曲 (1965年)
- ヴァイオリン・ソナタ (1968年)
- 2台ピアノのための《辛抱(Patience)》(1974年)
- 2つの小品 (1996年)
オルガン曲
- オルガン・ソナタ第1番《だんだんと(イタリア語: Poco a poco II)》 (1978年)
- オルガン・ソナタ第2番《我が終わりにて我が始まりが(In My End is My Beginning)》 (1983年)
- 嘆き(Lamento) (1989年)
声楽曲
- バリトンとピアノのための和歌 (1964年)
- ダニイル・ハルムスによる3つの合唱曲 (1972年)