三和村 (琉球政府)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 三和村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1961年12月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 三和村・(旧)糸満町・兼城村・高嶺村→(新)糸満町 |
| 現在の自治体 | 糸満市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 九州地方 |
| 都道府県 | 沖縄県 |
| 郡 | 島尻郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 隣接自治体 | 高嶺村、東風平村、具志頭村 |
| 三和村役場 | |
| 所在地 | 沖縄県島尻郡三和村字真壁 |
| 座標 | 北緯26度06分18秒 東経127度41分23秒 / 北緯26.10492度 東経127.68961度座標: 北緯26度06分18秒 東経127度41分23秒 / 北緯26.10492度 東経127.68961度 |
| 特記事項 | 施行・廃止当時いずれも琉球政府(アメリカ軍施政権下) |
| ウィキプロジェクト | |
三和村(みわそん)は、1946年 - 1961年に琉球政府(現在の沖縄県)島尻郡にあった村で、沖縄本島最南端の自治体だった。
現在の糸満市南部にあたる。1946年4月に真壁村・摩文仁村・喜屋武村の合併により誕生し、1961年10月に(旧)糸満町(現在の糸満市字糸満)・兼城村・高嶺村との合併で(新)糸満町(現在の糸満市)となり消滅。現在は三和地区として糸満市の大まかな一地域として位置づけている。村役所は真壁に置かれた。
村内にはかつて、真壁・摩文仁・喜屋武の3間切があり、1896年に3間切とも島尻郡に編入、1908年の島嶼町村制施行に伴い3間切は村となった(真壁村・摩文仁村・喜屋武村)。真壁村は真壁、摩文仁村は米須、喜屋武村は喜屋武にそれぞれ役所が置かれた。
しかし沖縄戦で摩文仁村が最後の激戦地となり、多くの人々が犠牲になった。そのため3村の人口は激減し、3村それぞれ維持することは難しくなったため、1946年4月1日に真壁・摩文仁・喜屋武の3村が合併し誕生した。村役所は真壁村役所だった真壁におかれた。
そして1961年10月1日に(旧)糸満町・兼城村・高嶺村と合併し(新)糸満町が誕生し、三和村は僅か15年半で消滅した。糸満町は10年後の1971年12月1日に市制施行、糸満市となった。三和村役所は合併後糸満町三和支所となったが、数年後に廃止され庁舎は真壁農協(のちにJA糸満市真壁支所→JAおきなわ三和支店)として使用された。
地域
旧真壁村
- 新垣(あらかき)
- 伊敷(いしき)
- 糸洲(いとす)
- 宇江城(うえぐすく)
- 小波蔵(こはぐら)
- 名城(なしろ)
- 真栄平(まえひら)
- 真壁(まかべ)
旧喜屋武村
- 喜屋武(きゃん)
- 束辺名(つかへな) 糸満町に合併後、上里と合併し束里(つかざと)となる
- 上里(うえざと) 糸満町に合併後、束辺名と合併し束里となる
- 福地(ふくぢ)
- 山城(やまぐすく)
旧摩文仁村
- 伊原(いはら)
- 大度(おおど)
- 米須(こめす)
- 摩文仁(まぶに)
- 波平(なみひら) 糸満町に合併後、兼城村の波平(現在の北波平)と分けるため南波平となる