小桜葉子
日本の女優
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来歴・人物
東京府東京市麹町区霞ヶ関(現 : 東京都千代田区霞が関)生まれ[1]。
1925年に小笠原プロダクションに子役として入り[1]、母のペンネームだった小桜葉子を芸名にする。1926年5月、松竹蒲田に入り、子役(令嬢の子供)として主演作もあり大活躍した。「明日天気になアれ」(島津保次郎監督)では主役を演じ、飯田蝶子、吉川満子などと共演[1]。数年で娘らしくなり人気が落ちた。ちょうどその頃、上原謙が松竹へ入りすぐにNo.1の二枚目スターとなった。上原は大人気のスター桑野通子とのロマンスが話題となっていたが、上原を射止めたのは小桜であった。1936年10月、上原と結婚、引退した[2]。1937年4月に長男(加山雄三)を出産[2]。
1952年、「上原 葉子」の名で映画『お茶漬の味』に特別出演した。
戦後、太り始めた夫の体型矯正のために体操と食事療法を学び、小桜式プッシュ体操を考えだした[2]。
1960年代に息子の加山雄三が映画で活躍している頃、小桜式美容体操の講師として活躍した。NETテレビ「アフタヌーンショー」へ出演、小桜葉子整美体操教室を経営した[1]。
1970年5月12日、子宮頸がんのため東京都豊島区の癌研究会附属病院に入院中、尿毒症からくる心不全のため死去[3][4]。満52歳没[2]。この数年前にスキーの事故で片方の腎臓を損傷、摘出したことから腎機能障害を患い、がんの発見が遅れ、わかった時には既に手遅れの状態だった。墓所は多磨霊園。
親族
関係人物
うつみ宮土理の体操の師匠である川端麻記子は彼女の弟子。つまりうつみは孫弟子に当たる。
出演映画
- 1925年
- 極楽島の女王 - 内藤礼子
- 1926年
- いとしの我子
- 美しき祷
- 曲馬団の姉妹
- 愚かなる母
- 1927年
- やつ当りこぶだらけ
- 父帰る - 正国の娘・蝶丸
- 孤児
- 1928年
- 天使の罪
- チンドン屋
- 恋愛二人行脚 - 孤児・お留
- 踊れ若者 - 三公
- 彼女と海
- かぼちゃ - 山田ちえ子
- 亀公
- 輝く昭和 - 桜井弥生
- 三日目の女
- 1929年
- 鵜の目鷹の目
- 都鳥
- 明日天気になあれ - お嬢さん
- 1933年
- しっかりせよと抱き起し
- 1934年
- 娘三人感激時代
- 与太者と花嫁 - 葉山みね子
- 1935年
- 1936年
- 結婚の条件
- 素晴らしき空想
- 男性対女性 - レヴューガール
- 1952年
- お茶漬の味 - 黒田高子
著書
- 『いつまでも若く美しくあるための食事療法と整美体操』文化服装学院出版局、1966
- 『よりすこやかに 食事療法の実際と小桜式プッシュ体操』文化服装学院出版局、1967
- 『太る体操・やせる体操 小桜葉子の整美体操』日本文芸社、1967
