不空金剛
唐の高僧・訳経僧
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生涯
- 神龍元年(705年)生まれる。出生地は諸説あり、インド南部[1]、サマルカンド[2]、唐の涼州とも言われている。父はインド北部出身のバラモンで、母はソグド系人だった[2][3]。
- 開元2年(714年)長安で金剛智に師事し密教を学ぶ。
- 開元29年(741年)金剛智の入寂後に、師の遺言に従って『金剛頂経』の完本を求めるとともに、勅命により『大日経』等の密経経典を請求するためにセイロン・インド南部に渡るとともに、インドの龍智阿闍梨のもとに派遣されて、胎蔵・金剛両部にわたる伝法灌頂すなわち五部灌頂を伝授された[1]。
- 天宝5年(746年)に長安に帰る。
- 天宝14年(755年)、安史の乱をきっかけに 精力的に教化活動を行い、安禄山が洛陽を支配すると、不空は勅命により西京長安に帰り、大興善寺に住して灌頂の壇を築き、調伏の修法を行なった[1]。これにより、唐朝の帰依を集めた。
- 大暦9年(774年)入寂。