中村雀右衛門 (2代目)
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二代目 中村 雀右衛門(にだい なかむら じゃくえもん、天保12年(1841年) - 明治28年(1894年)7月20日は、幕末から明治時代の歌舞伎役者。屋号は江戸屋。俳名に梅都がある。
大坂に生まれ、初代中村雀右衛門の門人となる。中村芝之助の名で初舞台を踏む。慶応2年(1866年)より二代目中村芝雀を襲名した。その後師と共に大芝居に出る。明治4年(1871年)に師匠が没した後、明治8年(1875年)4月に角座で師匠の名跡である二代目中村雀右衛門を襲名した。 芸風としては師匠と同じく実悪を得意とする一方で伊賀越道中双六の平作、梶原平三誉石切の六郎太夫、菅原伝授手習鑑の白太夫など老け役での当たり役が多く、また寿曽我対面の曽我満江や菅原伝授手習鑑の覚寿、一谷嫩軍記の相模など女形役や花車役も演じるなど幅広い芸風を持っていた[1]。 延宗右の全盛期であった明治10年代から初代中村鴈治郎や片岡我當が活躍し始めた明治20年代にかけて活躍していたが足掛け3年に渡る東京滞在を終えて帰阪した直後の明治28年7月、養子の芝雀と共に神戸大黒座に出演した際にコレラに感染し、7月20日に舞台を勤めて旅館に帰った直後に容体が悪化し急逝した。墓所は大阪市営南霊園[2]。