中野博 (ボクサー)
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- 佐織工業高校を1年1学期で中退。暴走族にも加入する不良少年だった。
- 技巧派で知られるも、拳を痛め世界挑戦が遠のき引退まで世界戦を行えない不運があった。開業間もない畑中清詞のジムに入門し、ジム初のOPBF東洋太平洋チャンピオンに輝く。同時期入門の杉田竜平も日本王者になり、畑中ジムの二枚看板と呼ばれ、「魂の箱-あるボクシングジムの闘い」(平山譲著)で取り上げられている。
- 1996年12月21日、スーパーフライ級で2RKOで勝利し、プロデビューを飾る。
- 1997年12月20日、第44回全日本スーパーフライ級新人王決定戦に西軍代表として挑戦。東軍代表川嶋勝重を6R判定で下し全日本新人王(MVP)に輝く。
- 1999年11月23日、12戦12勝の戦績でOPBF東洋太平洋フライ級王座メルビン・マグラモ(フィリピン)に挑戦し12R判定で戴冠。
- 2002年7月5日、後のOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者姜必求(韓国)や前王者マグラモなどを退け5回防衛しOPBF東洋太平洋王座を返上(後に自身の持っていた王座を獲得するワンミーチョーク・シンワンチャーをノンタイトル戦で下している)初防衛成功時に左拳を骨折し7ヶ月試合ができなくなるなど度重なる負傷の治療に専念する為であった。
- 2004年2月8日、チャンピオン・カーニバルで坂田健史が返上し空位となった、日本フライ級王座王座決定戦を小山晃司と争い、6R負傷判定で勝利し戴冠。
- 2004年6月6日、防衛戦を内藤大助と行うも、初回にダウン、その後も内藤の強打を浴び続け6Rには偶然のバッティングが原因で負傷判定となり、初敗北とタイトルを失う。
- 2005年10月10日、ロセリト・カンパナ(元PABA暫定王者)に6R負傷判定で敗れ7月10日のエリック・バルセロナに4RTKO負けとあわせ2連敗を喫す。この試合を最後に2006年7月17日に引退記念試合を名古屋国際会議場で行い引退。