丹原 (広島市)
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歴史
- 1073年(延久5年)有馬中将千賀守(ありまのちゅうじょうちかもり)兄弟が、美濃国から故あって、この地に落ち延びてきて住み着く(どのような故があったのかについては、一切不明)。
- 藩政時代より、この地を沼田郡阿戸村丹原と称した。
- 1889年(明治22年)阿戸村と吉山村が合併して戸山村となる。これ以降、安佐郡戸山村字阿戸小字丹原となった。
- 1900年(明治33年)2月23日 丹原大年神社社掌だった佐々木進が、当時の内務大臣だった西郷従道に提出した『境内編入願』には、世帯数28戸とあり、これが記録上の最盛期とされる。
- 1906年(明治39年)4月4日 不明山から火災が起こり、集落は火に包まれ、東谷に1~2戸を残して焼失した。死傷者なし。
- 1909年(明治42年)世帯数21戸
- 1916年(大正5年)幅員1.8メートルの道路が開通した。
- 1923年(大正12年)青年会館が建設された。
- 1946年(昭和21年)疎開者(主に、老人と幼児)と原爆被爆者が帰省して、世帯数が14戸となった。
- 1965年(昭和40年)転出が相次ぎ、世帯数は10戸となった。
- 1974年(昭和49年)1戸のみとなった。
- 1975年(昭和50年)全戸転出し、無人となった。
- 1987年(昭和62年)集落の証として、「丹原の跡」の碑が建立された。
- 1993年(平成5年)『ふるさと丹原』が刊行された。
地理
地よし
みやり
みやりとは、見張りのことである。有馬兄弟が、この地に落ち延びて住み着いた時、食糧確保のために、ここに見張りを立てて田畑を開墾したことに由来していると伝わる。また、「丹原の跡」の碑が建立されている場所でもある。
東谷
西谷
権現滝と権現淵
名前の由来は不明。集落のあった場所の下流に位置する。滝の高さは約30mで、滝口から淵までは、一直線に落下する。
落合
高山川と丹原川の合流地点。
権入道峠
きゅうりはだ峠
- 頂上に猫の額ほどの平地があり、有馬兄弟は、最初にそこに小屋を建てて住んだと伝わる。
- 丹原の学童は、小学4年生までは、高原小学校に通学し、5年生からは、戸山小学校に通学した。この峠は、その通学路として利用された。全長は6km程度あり、集落から学校までの距離はそれ以上である。
