二階堂貞明

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時代 江戸時代末期(幕末
生誕 文化13年(1816年
改名 量山
 
二階堂貞明
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 文化13年(1816年
死没 慶応4年8月13日1868年9月28日
改名 量山
主君 喜連川煕氏
氏族 二階堂氏
貞則
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二階堂 貞明(にかいどう さだあき)は、下野喜連川藩家老。号は量山(りょうざん)。

第9代喜連川藩主である喜連川煕氏に仕えた家老で、煕氏と一緒に藩政改革を行なった。だが改革は下士からの批判が強く、煕氏没後の文久2年(1862年)10月に子の貞則(主殿輔)とともに失脚した。

慶応4年(1868年)7月、子の貞則と官軍に対して喜連川縄氏会津藩と内通したと讒訴した。疑念を抱いた官軍の高塩又四郎(喜連川藩出身・鳥取藩隊長。維新後判事となる)は、佐賀藩士・中島彦九郎と喜連川御所に重臣を集め、二階堂父子を問いただしたところ讒訴が発覚した。このため、8月13日、縄氏によって貞明・貞則父子・邦之助(貞則の弟)やこの企てに加わった者は斬首となった。享年53。(貞則はさらに曝し首の刑に処された。)

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