五所神社 (長井市)
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| 五所神社 | |
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鳥居と拝殿 ![]() | |
| 所在地 | 山形県長井市寺泉2303 |
| 位置 | 北緯38度6分39.52秒 東経139度59分51.92秒 / 北緯38.1109778度 東経139.9977556度座標: 北緯38度6分39.52秒 東経139度59分51.92秒 / 北緯38.1109778度 東経139.9977556度 |
| 主祭神 |
大日霊貴命 月読命 別雷神 金山彦命 建御名方命 |
| 例祭 | 8月14日~15日 |
| 地図 | |
由緒
五所神社縁起書によれば、天武天皇の治世、白鳳8年(7世紀末)、朝日嶽、岩上嶽(祝瓶山)に役行者が参籠修行し開山したという。その後、聖武天皇の治世、天平3年(731年)、川口寺が建立され、宝亀5年(774年)桑沢口に岩上寺が建立され繁栄し、その繁栄は約400年続いた。天喜年間(1053年 - 1058年)、前九年の役(源義家と、安倍貞任の兵乱)により朝日、岩上の霊地は衰退の一途をたどっていた。
その後、再び出羽国を訪れた源義家は、寛治4年(1090年)当麻秀則を遣わし、祭地青木野に朝日岳大日霊貴命・月ヶ峰月読命・岩上別雷神・小朝日金山彦命・三渕建御名方命の五ヶ所の尊霊を移し合祭したのが朝日山五所大明神である。この時から地名も五祭所と改められ、一郷の産土氏神として奉斎し、当麻秀則に永く留まらせ、祠を守らせたとある。
伝承
修験
東北地方では神社の祭祀に修験者が関わってきた例が多く見られ、五所神社も古くから代々、修験東性院が別当として祭祀に関わってきた。 羽黒派十二先達の一である東性院は天長年間(824年 - 834年)に寺泉村の道者屋敷に、朝日山別当の岩上寺を開いた宥善法師を開基とし、明治初年の神仏判然令の影響下、明治3年(1870年)に復飾し神主となった永恭まで、46代にわたって相続してきたと伝えられている。
中世、朝日岳を中心に朝日修験が盛んであったが、羽黒修験との勢力争いに敗れ、衰退したと思われる。 鎌倉時代、朝日山地周辺には、平氏の残党などが山伏となり、横暴を極めたので、北条氏が千年封じを実施したとの伝説がある。その際に、僧坊を破毀、仏像を川に投棄するなどの弾圧により朝日山地の信仰は衰え、朝日修験の勢力も弱体化したと言われている。 東性院も、朝日山五所大明神の別当を代々務めてきていたことから、当初は朝日修験であったものが、時代を下るなかで羽黒修験となったものと考えられる。
祭事
五所神社例祭 8月14日~15日
