かつて苗木の新谷に在り、苗木藩3代藩主の遠山友貞が奥室のために没後に建立した寺であり、法華宗陣門流で正中山 佛好寺と称した。
遠山友貞の奥室は、江戸幕府で若年寄や老中を歴任した久世広之の息女で、寛文5年(1666年)1月20日に死去し、法名は正中院殿日好大姉である。
久世氏は法華宗陣門流であった為、遠山友貞が特に奥室の位牌所として建立した寺院である。
この寺の規模等については不明な点が多く、客殿、庫裏、鐘撞堂等があったが、廃寺の折に取払われてしまった。
現在、同寺の昔日の面影を伝えるものには石垣と大門跡、遠山家廟所(御霊舎)のみである。
大門跡は同寺から東南の方向300メートルほどのところにあり、ここには日蓮の五百年忌にあたる、安永10年(1781年)に日財の代に建てられた『南無妙法蓮華経 日蓮大菩薩 佛好寺』と刻まれた縦長の石碑がある。
この碑は、明治3年(1870年)の廃仏毀釈の折に廃寺となった折に取払われて土中に埋められたが、後年になって掘り出されて再び立てられたものである。
寺の裏山には、遠山家廟所があり、正中院殿日好大姉の墓があるが、遺骸は当時、江戸丸山にあった久世家の菩提寺本妙寺の墓に埋葬されており、佛好寺にある墓は引墓である。
佛好寺の運営については、合力米(援助)12石が与えられ重役の証文にて代官より代金にて渡された。
他にも、日比野村定納高の内で12石余の場所が寺付きになっていたが引免にはならず、定納米は同寺から日比野村の郷蔵に納められていた。
岐阜県恵那市岩村町の妙法寺には佛好寺から引き継いだ寺宝が多く存在する。