伊藤明瑞
From Wikipedia, the free encyclopedia
1891年(明治24年)、2歳で漢学者南海鐵山に入門し、1892年(明治25年)、3歳で元堺県知事に揮毫を披露する。早くから神童・天才書家と呼ばれ、幼くして古典を暗記するなど博覧強記な人物であったという。
1894年(明治27年)、5歳で王羲之の書法を体得し、免許皆伝書を授与される。
1895年(明治28年)2月13日、5歳の時明治天皇の御前で腕前を披露し、「日本明瑞」(明治の明と瑞祥の瑞)の名を賜る。後に伊藤博文の書生となり、「伊藤明瑞」を名乗るようになった。
青年期から没するまで明石市に居住する傍ら、皇族・華族や全国の官公庁・寺院・学校などを回って、実演を披露した。
1948年(昭和23年)、明石の自宅において死去。