佐倉市民音楽ホール
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佐倉市民音楽ホール(さくらしみんおんがくホール)は、千葉県佐倉市にある音楽専用ホールである。通称「佐倉ハーモニーホール」。佐倉市立臼井公民館、臼井公民館図書室、臼井・千代田出張所との複合施設。
| 佐倉市民音楽ホール (佐倉ハーモニーホール) SAKURA HARMONY HALL | |
|---|---|
|
佐倉ハーモニーホール(佐倉市民音楽ホール)入口 | |
| 情報 | |
| 通称 | 佐倉ハーモニーホール |
| 正式名称 | 佐倉市民音楽ホール |
| 開館 | 1984年11月 |
| 収容人員 | 667人 |
| 客席数 | 667席(1階535席、2階132席)ほか車椅子3席 |
| 延床面積 | 4,760 m2 |
| 用途 | コンサート、イベント等 |
| 運営 | 佐倉市臼井公民館 |
| 所在地 |
〒285-0837 千葉県佐倉市王子台1丁目16−16 佐倉市民音楽ホール |
| 位置 | 北緯35度43分52.56秒 東経140度10分53.91秒 |
| 最寄駅 | 京成本線「臼井駅」下車徒歩3分 |
| 最寄バス停 | 佐倉市コミュニティバス 「市民音楽ホール 御伊勢公園前」下車 |
| 最寄IC |
東関東自動車道「四街道IC」 東関東自動車道「佐倉IC」 |
| 外部リンク | https://www.city.sakura.lg.jp/section/ongaku-hall/ |
建設の目的と経緯
佐倉市の音楽ホールの設置は、1978年(昭和53年)6月に当時の菊間健夫市長が「市民合唱のつどい」で建設計画について話したことに始まる[1]。その後、1980年(昭和55年)4月から7月にかけて、当時の横橋教育長が「音楽ホール・臼井公民館複合施設」の構想について社会教育委員会で発表したことが建設計画の起点となった[1]。1980年(昭和55年)11月に、現在の建設地である佐倉市王子台1-16番地の用地4,106㎡(1,244坪)を取得した[1]。
佐倉市が初めての本格的なホール施設建設に、市民会館や文化会館ではなく音楽ホールとしたのは、市民と共に音楽を通じた明るい町づくりを目指すことを目的としたことによる。周辺自治体が競って1000席を超える大規模な会館を建設する中で700席足らずの規模は意外と見る向きもあったが、区画整理地内で立地上の制約もあり、音楽を一体感をもって楽しめる空間サイズと集客面での現実的なことを考慮して中規模ホールとして決定した[2][3]。
完成した佐倉市民音楽ホールは、音楽演奏のために設計された中規模ホールとして優れた音響特性を持ち、演奏家から高い評価を得ている[4]。
ホールの名称
佐倉市は、民間事業者等との協働により新たな財源を確保し、持続可能な施設運営につなげるとともに、 施設の魅力や市民サービスの向上を図ることを目的として、市が所有する施設に愛称を付けることができる権利を取得する 「ネーミングライツパートナー」を募集したところ、佐倉市民音楽ホールにおいて、医療法人社団樹徳会 佐倉整形外科眼科病院と 「佐倉市民音楽ホールのネーミングライツ事業に関する協定」を、2023年(令和5年)2月13日に締結した。契約期間は2023年4月1日から2028年3月31日までの5年間。ホールの名称が「佐倉ハーモニーホール」となった[5]。
大規模改修工事
2001年の改修工事
開館17年目となる2001年(平成13年)7月1日から2002年(平成14年)1月11日にかけて、最初の大規模改修工事が行われた。主な改修工事の内容は、舞台設備工事として舞台機構、舞台音響設備、舞台照明設備、車椅子専用リフトの設置などのバリアフリー工事、空調設備、防音工事、客席椅子工事、エントランスホール拡張工事など[6][7]。
2018年の改修工事
2001年の改修工事から17年後の2018年(平成30年)1月22日から9月22日にかけて、2回目の大規模改修工事が行われた。主な改修工事の内容は、耐震設備工事、トイレ設備工事、舞台設備の更新、空調設備の更新など[8][9]。
建物・設備
建物は地上2階、地下1階からなる。
- 地下1階 - 練習室1、練習室2
- 1階 - ホール、臼井公民館、臼井・千代田出張所、臼井図書館
- 2階 - 集会室、展示室、ホール2階がある
ホール
コンサート、演劇、講演会、企業の研修会など、様々なイベントに使用されており、特にクラシック音楽に適した残響音効果が楽しめる工夫が施されている。
- 収容数 - 667席(1階535席、2階132席)ほか車椅子3席
- 館内施設 - ホール、ホワイエ、楽屋3室、練習室2室
- 舞台寸法 - 間口12.5m、奥行10m、高さ8m
- 舞台設備 - 音響反射板、電動前迫舞台、緞帳、絞り緞帳、釣りバトン5本、等
- 第1楽屋 - 12人まで(30㎡) 第2楽屋 12人まで(31㎡) 第3楽屋 4人まで(15㎡)
- 第1練習室 - 50人まで(87㎡)第2練習室 20人まで(40㎡)
ストリートオルガン
ストリートオルガンは、ヨーロッパで発展した移動式の自動演奏パイプオルガンで、特にオランダの都市で盛んに用いられた。華やかな装飾を施した外観と多様な楽器を組み合わせ、街頭や祭礼で人々を楽しませる役割を担った。佐倉市では、国際交流事業の一環として1988年以降に導入が始まり、以下のオランダ製の3台が佐倉ハーモニーホールに常設されている[10]。
サクラ(SAKURA)
- 製作年 -1988年
- 特徴 - 佐倉市のために特別に製作された中型ストリートオルガン。幅2.4m、高さ1.7m、重量約300kg(佐倉とオランダ)
- 仕様 - パイプ数127本、メロディー温2,伴奏音11,ベース音8などを備える。ヴァイオリン、フルート、ベースの音色を奏でることができる。
- 外装 - パネル上部には市章が描かれ、中央左右には、ホールのロビーに展示してある天使のレリーフが、また下部にはオランダ風車といった佐倉市にちなんだものが描かれている。
ヴェーニンゲン(Veeningen)
- 製造年 - 1989年
- 製作者 - ヘンク・ヴェーニンゲン(Henk Veeninge)
- 特徴 - 小型ストリートオルガン。幅1.2m、高さ1.0m、重量約80㎏
- 仕様 -パイプ数47本。ヴァイオリン、フルート、ベースなどを演奏可能
- 装飾 - 風車や赤いバラの絵
- 寄贈 - 日蘭修好380周年を記念し、千葉銀行により佐倉市に寄贈
サーター (DE SATER)
- 製作年 - 1898年
- 製作者 - ヨセフ・ブルセンス (Joseph Bursens)
- 特徴 - 佐倉市が所蔵する最大級のストリートオルガン。幅6m、高さ2.8m、重量約778kg
- 仕様 - パイプ数294本。メロディー音66、伴奏音10、低音部8、打楽器は、ドラム、スネアードラム、シンバル、人形についた鐘が2個ついている。
- 名前 - 1954年の秋から1958年まで、ミデルブルク市のブラウメンが所有者となり、この時にオルガンのパネルに描かれている人形の顔から「サーター」と名前が改められた。
- 来日時期 - 1989年10月市制施行35周年・日蘭修好380周年を記念して購入
- 歴史 - ベルギーのダンスホール用からオランダのテルニューゼンに渡り製作者ブルセンスにより解体修理、移動ができるストリートオルガンにリメイクされた歴史をもち、内部のパイプは製造当時のまま使用されており、120年以上前の音色が今も演奏される。
- メンテナンス - 毎年修理と調律が行われ、状態良好、テレビ番組「なんでも鑑定団」では鑑定評価額が約1.500万円と高評価を受けた[11][12]。
技術と保存修理
世界的なストリートオルガン修理士・松本尚登氏が専任調律師として、毎年4泊5日で佐倉に赴き、分解・調整・部分交換などを含む綿密なメンテナンスを実施[13]。特に『サーター』は来日後2009年12月一度オーバーホールされており、現在も非常に良い状態を保っている一方、鞴(鞴)の劣化など消耗部品の交換時期が迫る機体もあり、将来的には技術の承継やオランダとの協力が重要とされている[14][15]。
コンサート・公開状況
所有する3台は定期的にストリートオルガンコンサートとして演奏され、100曲以上あるレパートリーから厳選された曲が披露されている[10]
- ストリートオルガン「サクラ」
- ストリートオルガン「サーター」
- ストリートオルガン「ヴェーニンゲン(Veeningen」」
特筆すべき自主事業
創作市民オペラ「龍の雨」
日照りで苦しむ人々を救うために掟を破って雨を降らせた印旛沼の龍が、神の怒りに触れて体を三つに引き裂かれてしまうという、印旛地方の伝説を題材にした創作オペラ[16][17][18][19]。
なお、栄町の龍角寺や本埜村の竜腹寺、八日市場市の龍尾寺など、印旛沼周辺地域に今も残る寺名は、引き裂かれた龍の頭、腹、尾がそれぞれの寺に落ちてきたことが由来とも言われている[16][17][18][19]。
作曲と脚本は、遠藤周作の著作を原作とした作品「黄金の国」や「火の鳥」のオペラ化で知られる作曲家の青島広志に、佐倉市が委嘱。演出は直井研二。キャストの一部は市民公募され、市民合唱団も参加した[16][17][18][19]。
1988年(昭和63年)4月29日に佐倉市民音楽ホールで初演された[16][17][18][19]。1989年11月2日の再演の際に「地域に根ざした音楽活動」として県知事表彰を受ける[20][21]。2004年11月6日・7日には、佐倉市市制施行50周年・佐倉市民音楽ホール開館20周年事業として、新演出で3回目の公演が行われた[22][23]。
佐倉市委嘱作品:水野修孝作曲「交響曲第2番《佐倉》」
八千代市在住の作曲家、水野修孝に作曲を委嘱し、佐倉市民音楽ホールにおいて1991年5月6日に十束尚宏指揮、東京交響楽団により初演された交響曲[24]。1999年11月3日に開館15周年事業として一部改作して初演と同じ十束尚宏指揮、東京交響楽団で再演され、そのライブ録音はCD化された[24]。
ニューイヤーコンサート
1984年11月開館の翌年から開催されているニューイヤーコンサートでは、ウイーン恒例のニューイヤーコンサートの香を届けるものとして、第1回目の1985年1月13日の「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団」から毎年、ウイーンの演奏家を招聘して行っている[25]。これは、当時はサントリーホールなど都内の大ホールでも行っておらず、地方の中ホールでの公演企画として特筆に値するものである[25]。
佐倉(市民)の第九
市民が「歌う」、「奏でる」、「聴く」の目的で音楽ホールに集うことを結実するため、開館15周年を迎えた1999年12月19日、ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱」が市民の手により佐倉市で初めて演奏された[26][27][28]。
ホール建設の原動力ともなった佐倉市合唱連盟と市民オーケストラ・佐倉フィルハーモニー管弦楽団の夢が「佐倉でも第九を」を実現させたもので、合唱団には一般参加も公募され、166名の大合唱が市民音楽ホールを響かせた[26][27][28]。「佐倉の第九」は2009年まで毎年の恒例演奏会として再演され、その後も数次にわたり開催しており、佐倉市民音楽ホールの重要な自主事業の一つとなった[26][27][28]。
音戯(おとぎ)のまちづくり
「音戯のまちづくり」と名付けられた街角コンサートは、2003年10月の読売新聞記事「ロンドンの地下鉄駅で合法ライブ」がきっかけとなった[29][30]。佐倉市でも、これを「まちづくり」に生かせないものか、音楽が溢れることで街が活気づき、全ての市民が演奏者になって気軽にリラックスして音楽を楽しめるようにしよう、とのコンセプトで計画され、2004年8月13日に京成うすい駅2階テラスで第1回目が開催された[29][30]。
保育所を設けた演奏会
1997年12月23日に行われた、こんにゃく座によるオペラ「森は生きている」公演では、市民が音楽を楽しむ機会を増やそうと、親市民音楽ホールの中に初めて子連れ観覧者のために保育室が設けられた[31]。
音楽を通したオランダとの交流
江戸時代末期よりオランダとの交流が深かった佐倉市だが、市民音楽ホールでも自主事業の一つとしてオランダ・シリーズを展開してきた[32][33][34]。
オランダ人アーティストの演奏鑑賞だけでなく演奏家による市民への指導と交流が積極的に図られた。特に「アムステルダム・ルッキ・スターダスト・クワルテット」による演奏と市民リコーダーアンサンブルへの指導は1989年5月14日を初回として数次にわたって開催され、交流の中核をなした[32][33][34]。
また2000年4月1日には日蘭交流400周年記念事業として「オランダ室内管弦楽団」の初来日公演が佐倉市民音楽ホールで行われた[32][33][34]。
音のアンティーク展
1987年10月9日から21日までの期間、世界有数のオルゴール・コレクションで知られる、オランダのユトレヒト自動楽器博物館所蔵の名品73点の展示を市民音楽ホールで開催した[35][36]。この展示会は同月の佐倉日蘭協会の設立を記念してのものであった[35][36]。
造形と音が織りなすピアノの世界〜音のアンティーク展
佐倉市制50周年、佐倉市民音楽ホール開館20周年記念事業として、2004年6月19日から7月3日まで、佐倉市立美術館を会場として「造形と音が織りなすピアノの世界〜音のアンティーク展」が開催された[36][37]。
19世紀中ごろから20世紀前期までに製造された貴重なアンティーク・ピアノが19台揃い、日本のピアノ史上記録に留められる展示事業であった[36][37]。
開会前日には千葉県出身の世界的ピアニスト深沢亮子によるプレ・ミニコンサートが、最終日には突然来館した深沢亮子がガイド付き演奏会を行い、展示会を締めくくった[37][38]。
