佐藤洞潭

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 佐藤謙治
1842年
岩手県東磐井郡興田村石那坂・佐藤利蔵の次男として生まれる
墓地 岩手県一関市東山町長坂字東本町164番地・安養寺
記念碑 安養寺の佐藤家墓地に洞潭・猊巌共同の碑がある
さとう どうたん
佐藤洞潭
生誕 佐藤謙治
1842年
岩手県東磐井郡興田村石那坂・佐藤利蔵の次男として生まれる
死没 1900年6月9日
墓地 岩手県一関市東山町長坂字東本町164番地・安養寺
記念碑 安養寺の佐藤家墓地に洞潭・猊巌共同の碑がある
国籍 日本の旗 日本
職業 岩手県・長坂郵便局長(1880年 - 1900年6月)
子供 猊巌(衡)東華(敬吉)
徳五郎孝衡(佐藤利蔵)
親戚 兵三郎重衡
テンプレートを表示

佐藤洞潭(さとう どうたん、1842年天保13年〉 - 1900年明治33年〉6月9日は、幕末仙台藩士である。維新後、猊鼻渓の開拓に息子の佐藤猊巌(さとうげいがん)、佐藤東華(さとう とうか)と取り組んだ。

1867年(慶應3年)に、仙台藩の立会人(オブザーバー)として幕末の京都を訪問した。鳥羽・伏見の戦いを実見した。仙台藩は官軍との、直接戦闘に参加したという記録は無く、(危険が迫った時は京都・大原に避難している)。洞潭は無事、一関市東山町長坂に生還している。東山町長坂の猊巌の生家には、その時に使った、陣笠、刀、鉄砲が保存されていた。その当時の京都(洛中・洛外)の様子を息子の猊巌に詳しく話している。

猊鼻渓の観光地としての開拓に努め、東の耶馬渓とうたわれるまでに発展させた。東山町長坂の郵便局長を勤め、1900年(明治33年)6月9日に死去した。享年58。

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI