体子内親王
鎌倉時代前期から後期の皇族。後堀河天皇の次女。准三宮。後嵯峨天皇の女院。子に娘(-1281)
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生涯
建長8年(1256年)2月6日、内親王宣下。2月7日には准后、即日女院となり、神仙門院と号した。弘長元年12月28日(1262年1月20日)に出家して妙智覚と号した。71歳で薨去。
『増鏡』第十「老いの波」には、後嵯峨天皇との間に生まれた皇女がおり、その皇女は弘安4年(1281年)夏に薨去したことが語られている。「後堀河院の御むすめにて、神仙門院と聞えし女院の御腹なれば、故院もいとおろかならずかしづき奉らせ給ひけり」とあり、皇女は後嵯峨天皇に鍾愛されていたと記されているが、『増鏡』以外の当時の諸記録にはこの皇女のことは記されていない。このため、体子内親王と後嵯峨天皇との関係は公的な入内ではなく、いわゆる私通だったと考えられる。なおこの皇女の死は乳母子との子を妊娠、流産したことによるものとあるので、弘安4年時点で皇女は成人に達していたとも考えられる。