佛教寺
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| 佛教寺 | |
|---|---|
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本堂 | |
| 所在地 | 岡山県久米郡久米南町仏教寺84 |
| 位置 | 北緯34度55分0.38秒 東経133度56分29.36秒 / 北緯34.9167722度 東経133.9414889度 |
| 山号 | 医王山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | 伝・和銅3年(710年) |
| 開基 | 伝・肩野部長者乙麻呂 |
| 札所等 |
中国薬師7番 美作八十八ヶ所20番 |
| 文化財 | 石造宝篋印塔、金剛力士像二躯、鎮守社本殿、バンバ踊(県重文) |
| 法人番号 | 9260005006982 |
佛教寺(ぶっきょうじ)は岡山県久米郡久米南町に所在する寺院である。山号は医王山。宗派は高野山真言宗。本尊は薬師如来。中国四十九薬師霊場第七番札所、高野山真言宗美作八十八ヶ所第二十番札所である。
御詠歌:医(くす)の山 瑠璃の光を 放ちつつ 朝な夕なに 衆生を助け
寺伝によれば、奈良時代初期の和銅3年(710年)肩野部長者乙麻呂が喜恵上人を開山として招聘し建立したと言われる。和銅7年(714年)には元明天皇、平安時代には陽成天皇の勅願寺となったと伝えられている。
平安時代になると真言宗寺院となったと伝わる。また、南北朝時代には南朝方を支援したといわれる。 安土桃山時代の天正9年(1581年)兵火により伽藍を焼亡し、元明・陽成両天皇の勅旨を焼失したと言われている。 江戸時代初期の慶長9年(1604年)津山藩初代藩主森忠政により寺院が再興された。
明治時代以降、急速に衰退した。明治19年(1886年)本堂が崩壊したため、翌年の明治20年(1887年)に境内の文殊堂を移築し現在に至っている。昭和初期までは寛永14年(1637年)に森長継が再興した三重塔が存在したが老朽化のために昭和9年(1934年)に倒壊した。跡地には昭和61年(1986年)に日新社殿が建造された。
文化財
- 岡山県指定重要文化財
- 石造宝篋印塔
- 木造金剛力士像[二躯]
- 桧材寄木造、阿形像高295.5cm、吽形像高270cm、阿形像の背部内面に建長元年(1249年)己酉三月の墨書があり、鎌倉時代中期の作と確認されている。現在は寺院の収蔵庫に保管されている。昭和55年(1980年)4月8日指定。
- 佛教寺鎮守社本殿(附 天保六年棟札)
- 三間社流造り、桁行三間・梁間二間・棟高5.07m。八社権現社と呼ばれる。最初の建造は不明であるが、江戸時代前期の寛文2年(1662年)に再建されたとの記録がある。安永3年(1774年)、天保6年(1835年)、明治25年(1892年)に修理がなされている。平成19年(2007年)3月16日指定。
- 岡山県指定重要民俗文化財
- バンバ踊