古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの備前国の総社にあたる。南方約1キロメートルの地には備前国庁跡が比定されるほか、当社には『備前国神名帳』の写本が伝世される。
明治維新後、近代社格制度においては郷社に列している。
平成4年(1992年)2月16日未明には放火により社殿を焼失したため、平成22年(2010年)に本殿が、平成27年(2015年)に拝殿が再建されている[2]。