現在の広島県府中市にて、小川良平の子として生まれた。旧制福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)に入学し、1907年(明治40年)に卒業した。中学校では剣道部に所属した。1910年(明治43年)に長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業し、教員となった。
福山市深津町の八杉家の婿養子となって八杉商店6代目社長に就任、福山ガス(株)、ニコニコバス(株)、福山合金(株)、福山興業(株)の取締役を務めた。
1929年(昭和4年)10月には福山商業会議所議員に、1932年(昭和7年)10月には広島地方裁判所金銭債務調停委員に、1935年(昭和10年)12月には福山税務署所得税調査委員に就任した。
この他に福山倉庫理事、福山信用金庫理事、福山市公安委員などを歴任し、後には福山商工会議所副会頭や福山誠之館同窓会会長など、多くの職を務めた。