公文俊平
From Wikipedia, the free encyclopedia
高知県出身。土佐中学校・高等学校を経て、1957年に東京大学経済学部卒業。1959年に同大学院社会科学研究科理論経済学専門課程修士課程修了。1967年に東京大学教養学部助教授、カールトン大学客員助教授・客員準教授。1968年にインディアナ大学経済学大学院でPh.D.取得。1971年に経済企画庁客員研究官。1978年、東京大学教養学部教授。1988年にワシントン大学客員研究教授。1990年に国際大学教授。1993年に国際大学グローバル・コミュニケーション・センター所長、2004年に多摩大学情報社会学研究所所長、多摩大学教授(担当講義は「社会システム論」)、現在に至る。
当初は経済学者として研究活動をスタートしたが、その後は社会科学の諸分野の統合を試み、情報・メディア・コミュニケーション研究を研究テーマとする[要出典]。神戸情報大学院大学非常勤講師を歴任。
東京大学教授在任中は、臨時教育審議会の専門委員に就任。東京大学においても同僚の村上泰亮、佐藤誠三郎らとともに教養学部の改革を進めていたが、1988年(昭和63年)に、教養学部の教員人事に端を発したいわゆる東大駒場騒動(中沢事件)が起こり頓挫。西部邁、村上泰亮らとともに辞職した。