内津峠
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座標
北緯35度19分47.3秒 東経137度04分18.1秒 / 北緯35.329806度 東経137.071694度座標: 北緯35度19分47.3秒 東経137度04分18.1秒 / 北緯35.329806度 東経137.071694度
山系
愛岐丘陵(東濃丘陵・尾張丘陵)
| 内津峠 | |
|---|---|
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多治見市より見た国道19号内津トンネル | |
| 所在地 |
岐阜県多治見市 愛知県春日井市 |
| 座標 | 北緯35度19分47.3秒 東経137度04分18.1秒 / 北緯35.329806度 東経137.071694度座標: 北緯35度19分47.3秒 東経137度04分18.1秒 / 北緯35.329806度 東経137.071694度 |
| 標高 | 320 m |
| 山系 | 愛岐丘陵(東濃丘陵・尾張丘陵) |
| 通過路 |
国道19号 中央自動車道 |
内津峠(うつつとうげ)は、愛知県春日井市と岐阜県多治見市を結ぶ標高320mの峠である。この峠の北側を中央自動車道が通過し、南側を国道19号(内津バイパス)の内津トンネルが通過している。
(下街道も参照)
『日本書紀』によれば、日本武尊が当地で副将軍の建稲種命が水死したという報を聞いて、「あゝ現(うつつ)かな」と嘆き悲しんだことが地名の由来とされている。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは森長可に属した妻木城主である妻木頼忠が内津峠に布陣し、付近の町が焼失した。
江戸時代には中山道に対する裏街道として荷物輸送に使われており、明治時代に入ると難所ゆえにトンネル建設の声が高まった。1880年には下街道の改修が行われて荷車や馬車の通行が可能になったが、1900年に中央本線が名古屋駅 - 多治見駅の間に開通すると、物流は鉄道を使うようになって峠は寂れた。
戦後は国道指定され国道19号の一部となり、モータリゼーションの進展によって交通量は増加していく。