出口すみ
大本教の第二代教主
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概略
大本開祖出口なお・政五郎の五女(末子)として京都府何鹿郡綾部町(現・綾部市)に生まれる。1900年(明治33年)、16歳の時に出口王仁三郎と結婚する。1918年(大正7年)、なおの死により二代教主となる。
1921年(大正10年)、警察が王仁三郎を逮捕(第一次大本事件)。1935年(昭和10年)、第二次大本事件で起訴、不敬罪・治安維持法違反で有罪となるが、第二審で治安維持法無罪判決が出たことにより1942年(昭和17年)に保釈される。太平洋戦争の敗戦により不敬罪も消滅した。
1946年(昭和21年)2月7日、王仁三郎は「愛善苑」を結成して苑主となり、大本の復興に尽力する。だが1948年(昭和23年)1月19日に逝去。澄が二代苑主となり、みろく殿の再建に情熱を傾け、1952年(昭和27年)3月に上棟式にこぎつけるが、その3日後の3月31日、69歳で死去[1]。
芸術評価
著書
- おさながたり (出口虎雄編 天声社 1998年10月)
- ぼっかぶりのうた (天声社 2002年9月)
- 教主御教示集 出口すみこ二代教主 (天声社 2008年8月)
