前泊哲明
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興南高では エースとして1975年春季九州大会県予選準決勝に進むが、知念高に敗退。社会人野球の日産自動車に進むも退社。一度は野球を辞めようとしていたが、興南高時代の恩師・比屋根吉信監督に説得されて体を鍛え直し、横浜大洋ホエールズのテストを受けて合格する。
入団2年目の1981年4月9日の読売ジャイアンツ戦で新浦寿夫と投げ合いプロ初先発初勝利。先発ローテーション入りしてチーム最多の21試合に先発し2勝を挙げるが、その2勝がプロでの勝ち星の全てとなる。翌1982年からは故障もあって低迷。1984年には中継ぎに回り、イースタン・リーグでは最優秀防御率を取るなどしたが、体の線が細くプロの投手としては根本的に体力が足りなかった。1986年限りで現役を引退。
引退後は、大洋と同じ経営母体の神奈川工科大学職員となり、就職指導などを担当している。