勝野ふじ子
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鹿児島県薩摩郡入来村(現・薩摩川内市)生まれ。実父と実母の結婚が認められず、母方の祖父母の戸籍に入り彼らの娘として育てられる。入来尋常小学校卒業後、鹿児島県立川内高等女学校(現鹿児島県立川内高等学校)に進学。その1年後に鹿児島市の戸籍上の兄の元へ移り、鹿児島県立第二高等女学校(現鹿児島県立甲南高等学校)へ転校。第二高等女学校では、文学好きな友人に恵まれ充実した学校生活を過ごす。1932年(昭和7年)に第二高等女学校を卒業。卒業後に小説を書き始める。その頃から肺結核を発症し、以後長年患う。
1939年(昭和14年)に甥とともに長崎県へ移りともに暮らす。そこで出会った『九州文学』へ、作品(「蝶」)を送って入会を希望し同人となる。『九州文学』に掲載された「蝶」は第9回芥川龍之介賞参考候補となるなど一定の評価をされる。
その後、病床や慕っていた『九州文学』同人・田中稻城(とうじょう)の死を経験し、 1944年 (昭和19年) 3月21日に逝去。