茶屋新田 (名古屋市)
名古屋市港区の大字
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地理
町名整理により大部分が他の町名に置き換わり、現在は新川の河川用地と国道302号線の道路用地に残存するのみである。
字一覧
南陽町大字茶屋新田の小字は以下の通り[3][4]。消滅した字については背景色 で示す。
| 字 | 字 |
|---|---|
| 一番割中道上一(いちばんわりなかみちかみいち) | 一番割中道上三(いちばんわりなかみちかみさん) |
| 一番割中道上二(いちばんわりなかみちかみに) | 一番割中道上四(いちばんわりなかみちかみよん) |
| 一番割中道上西(いちばんわりなかみちかみにし) | 一番割中道下亥一(いちばんわりなかみちしもいいち) |
| 一番割中道下亥二(いちばんわりなかみちしもいに) | 一番割中道下午一(いちばんわりなかみちしもうまいち) |
| 一番割中道下午二(いちばんわりなかみちしもうまに) | 一番割中道下西(いちばんわりなかみちしもにし) |
| 一番割未新田松台上(いちばんわりひつじしんでんまつだいかみ) | 一番割未新田松台下(いちばんわりひつじしんでんまつだいしも) |
| 一番割宮東(いちばんわりみやひがし) | 大縄場(おおなわば) |
| 五茶(ごちゃ) | 五番割(ごばんわり) |
| 三茶(さんちゃ) | 三番割西(さんばんわりにし) |
| 三番割東(さんばんわりひがし) | 添地(そえち) |
| 燈明下大縄場(とうみょうしもおおなわば) | 二番割中道上西(いちばんわりなかみちかみにし) |
| 二番割中道上東(にばんわりなかみちかみひがし) | 二番割中道下西(にばんわりなかみちしもにし) |
| 二番割中道下東(にばんわりなかみちしもひがし) | 二番割沼(にばんわりぬま) |
| 沼川原西上(ぬまかわらにしかみ) | 沼川原西下(ぬまかわらにししも) |
| 沼川原東亥(ぬまかわらひがしい) | 沼川原東上(ぬまかわらひがしかみ) |
| 墓下大縄場(はかしたおおなわば) | 東堤大縄場(ひがしつつみおおなわば) |
| 松山(まつやま) | 四茶(よんちゃ) |
| 四番割(よんばんわり) | 六反割(ろくたんわり) |
| 六番割(ろくばんわり) |
歴史
町名の由来
江戸期の海東郡茶屋新田を前身とする。 延宝7年(1679年)に初代茶屋四郎次郎の子である茶屋長意により開発された新田であることによる[2]。
行政区画の変遷
- 1889年(明治22年)10月1日 - 海東郡茶屋新田が合併により、同郡海東郡茶屋村大字茶屋新田となる[5]。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 合併により、海東郡南陽村大字茶屋新田となる[5]。
- 1913年(大正2年)7月1日 - 海部郡成立により、同郡南陽村大字茶屋新田となる[5]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 町制施行により、海部郡南陽町大字茶屋新田となる[5]。
- 1955年(昭和30年)10月1日 - 合併により、名古屋市港区南陽町大字茶屋新田となる[5]。
- 1965年(昭和40年)8月3日 - 港区南陽町大字茶屋後新田との境界を変更する[5]。
- 1976年(昭和51年)3月13日 - 一部が秋葉一丁目から三丁目、大西一丁目から三丁目、川園一丁目から三丁目、西茶屋一丁目から四丁目に編入される。[要出典]
- 1981年(昭和56年)12月5日 - 一部が港区七島一丁目・七島二丁目にそれぞれ編入される[6]。
- 1988年(昭和63年)11月27日 - 一部が西茶屋一丁目、秋葉一丁目に編入される。[要出典]
- 1989年(平成元年)11月26日 - 一部が大西一丁目から二丁目に編入される。[要出典]
- 1990年(平成2年)6月11日 - 一部が港区新茶屋一丁目・新茶屋二丁目・新茶屋三丁目にそれぞれ編入される[7]。