茜部荘 From Wikipedia, the free encyclopedia 茜部荘(あかなべのしょう)は、平安時代~室町時代にかけて美濃国厚見郡茜部村にあった荘園。960年に厚見荘から茜部荘へ改称された。東大寺領。 概要 所在 美濃国厚見郡南部。現在の岐阜県岐阜市茜部地区(茜部大野、茜部中島、茜部菱野、茜部新所、茜部寺屋敷など)が中心地。 規模 弘仁9年(818年)に107町339歩。1147年(久安3)本田77町余。 起源 750年、東大寺の文書に、尾張国中島郡茜部郷とあり、物品を納めていた。 厚見荘(美濃国厚見郡)は、もとは桓武天皇の勅旨田で、大同4年(809年)2月21日に立荘。桓武天皇は皇女・朝原内親王に譲渡し、弘仁9年3月27日に彼女の遺命により、812年(弘仁3)その母の酒人内親王によって東大寺に寄進された。 866年、広野川事件。その後、尾張国中島郡茜部郷は、美濃国厚見郡(厚見荘)へ編入されたと考えられる。 天徳4年(960年)には厚見荘から茜部荘へ改称された。 領主 東大寺 終焉 鎌倉時代に大江広元の子の長井時広が地頭になり、代々これを相続、東大寺と訴訟を繰り返して勢力を拡大するが、南北朝時代に後醍醐天皇が没収し、東大寺に再寄進した。その後の地頭は不明だが、応仁の乱の頃には完全に東大寺のもとを離れた。15世紀後半に終焉を迎えた。 備考 年貢は東大寺の衣服料にあてたため、絹や綿で収めた。 関連項目 日本の荘園の一覧 参考文献 『国史大辞典』(吉川弘文館) 『日本史広辞典』(山川出版社) 『日本史総攬』(新人物往来社) Related Articles