古田重定

室町時代末期から安土桃山時代にかけての同朋衆、武将 From Wikipedia, the free encyclopedia

古田 重定(ふるた しげさだ)は、室町時代末期から安土桃山時代にかけての同朋衆武将古田織部(重然)の父。還俗前は勘阿弥

生誕 不詳
死没 慶長3年(1598年8月19日
別名 勘阿弥
概要 凡例古田重定, 時代 ...
 
古田重定
時代 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 慶長3年(1598年8月19日
別名 勘阿弥
官位 従五位下 主膳正
主君 織田信長豊臣秀吉
氏族 古田氏、桑原氏
父母 父:古田総兵衛(民部)
母:不詳
兄弟 古田重安重定、重俊
不詳
重然、女、女
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生涯

古田氏は、美濃国の国人で、土岐氏斎藤道三織田信長豊臣秀吉に仕えた。

重定は、勘阿弥と号した土岐氏の同朋衆であった。桑原氏に養子に入ったという。信長が本能寺の変で横死すると、羽柴秀吉に仕え、還俗して主膳正重定と称し、3千石の武士に取り立てられた。

子である若き織部に茶の湯の手ほどきをし、後に織部は千利休高弟となり天下一の茶人となった。

慶長3年(1598年8月18日に秀吉が伏見城で没すると、重定は翌8月19日殉死した。

参照文献

  • 桑田忠親『古田織部―人と茶の芸術』徳間書店
  • 矢部良明『古田織部-桃山文化を演出する』角川書店角川叢書〉、1999年。ISBN 4-04-702108-3

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