デビューした当初は『21期期待の新鋭』と言われ、島田信廣に師事していた。
実際、2級車時代から1級車単気筒を経て、フジに乗っていた1993年ぐらいまではそれなりに乗れていた。だが、セアに乗り替わってからしばらくすると急激に勝てなくなり、島田の下を破門されてしまった。それ以降は更に負けが込み出し、一時は試走で基準タイムである3.60を切れなくなり出走停止を受けてしまったこともある。しかし2008年に入ると急激に復調。3連対率も40%を越えるなど絶好調でついに再びハンデも背負うようになった。
2009年からは再び低迷し、新陳代謝制度(成績下位者の選手登録を強制的に消除する制度)による登録消除により2011年度前期適用ランク(4月1日から)からランク除外(事実上の引退)。本来であれば2011年3月12日より川口オートレース場での開催が最後の競走の予定であったが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により同開催が中止。結果的に、同年3月4日の浜松オートレース場、第5レースが現役最後の競走となった。なお結果は8着。最終ランク(2010年度後期)はB級118位。