四条有資 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 南北朝時代生誕 不明死没 不明官位 伊予国司・左中将 凡例四条有資時代 南北朝時代生誕 不明死没 不明官位 伊予国司・左中将主君 後醍醐天皇→後村上天皇氏族 四条家父母 父:四条隆資兄弟 隆量、隆貞、隆俊、有資、西園寺実俊正室、少納言内侍テンプレートを表示 四条 有資(しじょう ありすけ)は、南北朝時代の公家。大納言・四条隆資の子。伊予国司・左中将などに任じられた。南朝に仕えた。 延元2年/建武4年(1337年)、伊予国司として任国に赴いた。以降「大将」(国大将のことか)として同国宇和荘に入ったり、忽那島に渡って合戦の指揮をする(「忽那一族軍忠次第」)など伊予南朝方の勢力拡大に努めた。 興国4年/康永2年11月8日(1343年)、忽那義範に伊予名越城の「後措」を命じた。 この項目は、愛媛県に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/愛媛県)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles