1893年、「北国府屋」の多三郎・千与の長男として岡山県総社南本町で生まれた。本名は宗一。
絵を描くのが好きだった宗一は、申義小学校(現、総社小学校)を卒業後、服部村深町(現、総社市深町)の中島雲哉の許へ入門し、南画の画法を学んだ。25歳の時に雲哉のすすめにより名古屋に出て矢吹璋雲の弟子となり、璋泉と号して8年にわたって修業する。
大正3年(1914年)に帰郷して、天童と号し画業に励んだ。大正6年(1917年)正恵と結婚、やがて清山と改号した。
大正末年頃、清山は松尾華作翁と語らい、近郷の同好者数十名を集めて「杉風社」を結成し、近くの宝満寺を借りて作画の指導にあたった。
昭和11年(1936年)8月3日、44歳で死去。翌年、杉風社の同人たちの手で「国府清山之碑」が宝満寺の南に建立された。
国府清山之碑 宝満寺