堀河豊子 From Wikipedia, the free encyclopedia 続柄 高倉天皇後宮、潔子内親王生母称号 按察典侍、西御方身位 典侍出生 応保2年(1161年)堀河豊子続柄 高倉天皇後宮、潔子内親王生母称号 按察典侍、西御方身位 典侍出生 応保2年(1161年)死去 不詳配偶者 高倉天皇子女 潔子内親王父親 堀河頼定母親 中務少輔藤原教良の娘テンプレートを表示 堀河豊子(ほりかわ とよこ、1161年 - 没年不詳)は、高倉天皇の妃で、潔子内親王の母である。参議・堀河頼定の娘。 豊子は堀河頼定と藤原教良の娘との間に生まれ、応保2年(1161年)に誕生した。母は高松院侍従と呼ばれた。その後、高倉天皇の後宮に入り典侍となった。治承3年(1179年)4月18日、高倉天皇との間に皇女(後の潔子内親王)を出産した。 『尊卑分脈』によれば妹も高倉天皇の典侍となったとされるが、同書以外にこれを裏付ける記録はない。 豊子の名は『玉葉』文治1年(1185年)11月15日条に見え、この日は6歳の潔子内親王が斎宮に卜定された日であった。その後、豊子に関する記録は途絶えている。 Related Articles