外塚重喜
From Wikipedia, the free encyclopedia
生まれる前に父は病死したため父親の顔を知らず母子家庭として育った。元WBC世界バンタム級チャンピオンの辰吉丈一郎に憧れる。
中学生時代はロックバンドを夢見ていたが1994年12月14日、愛知県名古屋レインボーホールで行われた薬師寺保栄対辰吉丈一郎の試合を見てプロボクサーを目指す。
1995年中学卒業と同時にそれまで新聞配達と学業を両立しながら貯めたバイト代で単身上京。新聞配達は1年続け1年で100万を貯めたが上京資金5万円のみ残し、残りは母親に全て渡している。
上京後、都内のボクシングジムに通いながら溶接工として働き始める。プロテストまで1か月を切った当たりから目の異常に気づき眼科で受診し網膜剥離と診断されプロボクサーへの夢は潰えた。
目標を失った外塚は仕事に没頭するも平和な毎日に嫌気がさし、同じ網膜剥離からボクサーにカムバックした辰吉丈一郎の元を訪れた。
17歳で美容師と結婚。長女を授かると再びボクシングに打ち込む。網膜剥離になったボクサーは国内では試合ができないため、メキシコへ渡る。
22歳の時、メキシコでの試合でプロデビューし1ラウンドノックアウト勝ち。メキシコでの試合であったため、日本からの応援者は妻のみだったが「一番見せたかった人に勝利を捧げられて良かった」と大粒の涙を見せた。
この間に法政大学法学部に入学。
2015年事実上ラストファイトとなったこの年、試合前に母が死去。精神面で不安定になり、トレーナーからは試合の中止を提案されるも、母の口癖である「男は何があっても仕事は休むな」を守り試合をすることになった。
試合前にメキシコのテレビ局サン・テレビのインタビューで「母親が亡くなったが今の心境は?」の質問に、それまで笑顔で計量に挑んでいたのが真顔になり「明日の為にここにいる。なにもない」と答えた。このコメントを聞いたメキシコボクシングファンは感動した。試合は「これが最後の親孝行」「確かに今までの敗北は精神面で一回りも二回りも俺を成長させてくれた。だが次の敗北は俺の人生の全てを否定することになる」と試合前語った外塚がプライドを捨て壮絶な打ち合いとなり、8ラウンド判定で外塚が勝利した。勝利者インタビューで「また会おう母ちゃん」と語り、ボクシング人生に幕を下ろした。
2020年復帰を模索中
10月屋根の溶接作業中に15メートルから墜落しアバラ4本の骨折と肺に穴が空く大怪我をするも12月に再び溶接作業を施工し完成させる。
2020年12月5日、自身5店舗目となる飲食店を渋谷にオープン。 第二作目となる自叙伝も執筆中であることを公表した。
2021年1月1日から日本を元気にするプランを打ち立て、全国に自身の店舗を持つ事を公言。手始めに沖縄で会社設立の為、長期で沖縄へ仕事に行っている。
現在は大阪、京都で美容室やネイルサロンの開業に着手している。