日本で首都圏の復興を進めるために策定された1950年代の首都圏整備計画には、大ロンドン計画の強い影響を見ることができる。東京都区部等の市街地を既成市街地として過密化を抑制し、その周辺に近郊地帯(グリーンベルト)を設定し、人口と産業はさらに周辺の衛星都市に分散を誘導する、という計画である。
しかし、グリーンベルトは、イギリスのように開発を抑制するのではなく、建ぺい率を低く設定して緑を残すという方法で、開発を抑制できないだけでなく、違法建築の乱立を招くこととなった。この経験から、1968年に制定された都市計画法においては、都市計画区域を市街化区域と市街化調整区域に区分するという方式が考えられることとなった。
日本で代表的なニュータウンは、大阪の千里ニュータウンと、東京の多摩ニュータウンである。しかしこれらのニュータウンは事実上失敗作となっている。
その理由は、ハワード氏が提唱した田園都市構想にならって行われた大ロンドン計画では、衛星都市の周りには、グリーンベルトを設置し、都市同士がスプロール現象などによって一つにならないようにすることと、職住近接。すなわち、職を作ることであり、『ニュータウン』の名前にふさわしく、新たに独立した生活空間を築くことでもある。
この二つの大原則を守って作らなかったため、日本のニュータウン計画で作られた、大阪の千里ニュータウンも東京の多摩ニュータウンも、単なる都心部へ働きに行く人たちのベッドタウンにとどまってしまったため、少なくとも本家の大ロンドン計画の理念に鑑みれば失敗作と言わざるを得ない。