超大型住居
縄文時代の建物遺構のうち、際立って大型のもの。
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概要
呼称の変化
特に巨大な例
注目される検出例
- 美沢2遺跡(中期前葉、竪穴建物、北海道苫小牧市)…同様の建物跡はその後北海道内では早期から後期にかけて多数存在することが確かめられている。
- 近野遺跡(前期、竪穴建物、青森県青森市)…三内丸山遺跡に南接し、それとの関連が考慮される遺跡。
- 鳩岡台遺跡(前期、竪穴建物、岩手県北上市)…複数の地床炉が一線に並ぶ超大型建物跡。
- 上ノ山II遺跡(前期、竪穴建物、秋田県大仙市協和)…中央に広場があり、その周りにロングハウス系の超大型建物だけが環状に多数並ぶというきわめて特異な構造をもつ環状集落である。炉は地床炉である。
- 池内遺跡(前期、竪穴建物・平地建物、秋田県大館市)…多数の竪穴建物とロングハウス系の掘立柱建物とが同時存在し、台地上を北より、東西方向に長軸をもつ竪穴建物、東西方向に長軸をもつ掘立柱建物、南北方向に長軸をもつ掘立柱建物、南北方向に長軸をもつ竪穴建物が整然と並び、集落構造の計画性が指摘できる貴重な調査事例。
- 不動堂遺跡(中期、竪穴建物、富山県朝日町)…1973年(昭和48年)に発掘された19棟の竪穴建物のうち第2号建物跡は、超大型建造物発見の最初。長径17メートル、短径8メートル、広さ約120平方メートルで畳70枚ほど敷ける。当時の竪穴建物が直径5メートル程度のものであるのに比べればまさに大規模建物といえる。このような大規模竪穴建物は県西部でも見つかっている。埋甕を併設する炉(石組土器埋設炉)が2基あり、その中間に小柱穴が3本並び、さらに炉の形態が一方は円形石組、一方は方形石組になっていることで注目された。建物内部が二分されているだけでなく、異なる2つの集団の共存が指摘できる貴重な発見である。この遺跡が、現在では大型建物の南端になる。
- 加賀原遺跡(中期、神奈川県横浜市都筑区)…1970年(昭和45年)の調査で、長径10メートル以上の平面小判形の大型建物1棟を検出[2]。
- 小丸遺跡(別称「池辺14遺跡」、後期、平地建物、神奈川県横浜市都筑区)…1975年(昭和50年)~1976年(昭和51年)の調査で、全国で初めて縄文の掘立柱建物の存在が確認された遺跡[3]。また「超大型」とは呼べないが、「核家屋」と呼ばれる集落内の長(オサ)の住居の可能性が指摘される大型平地建物が検出されたことで注目される[4][5][6]。1つの集落で建物の形態の多様性がみられることも特徴的な遺跡である。
大型建物(ロングハウス)の用途
大型建物の用途については、渡辺誠、小林達雄、小川望をはじめとして多くの人がさまざまな見解を寄せている。主要なものを以下に紹介する。
- 共同作業小屋的活用(渡辺誠)…縄文時代の食糧事情を考慮した場合、豪雪地帯において加工食品などをつくる冬期の共同作業小屋的空間、あるいは作業・貯蔵・居住兼用の家屋。
- 共同宴会場的活用(小川望・小林達雄)…共同宴会場的機能を含む公共的行事、儀礼、祭り執行の場、催事場、集会場、公会堂、ときには集落外からの訪問者の宿泊所的空間。

