大塚琢造

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大塚 琢造(おおつか たくぞう、1848年 - 1911年[注釈 1])は、佐賀藩出身の日本の実業家官僚。明治期において日本の工芸品を世界に広めた起立工商会社パリ支店長を務めたほか、万国博覧会審査官をつとめた[1]

髭を蓄えた明治時代の洋装男性の肖像
大塚琢造の肖像

1848年(弘化5年)、佐賀藩士の子として生まれる。佐賀藩の藩校・弘道館や、長崎致遠館グイド・フルベッキに師事し、英語と蘭学を学んだ[1]1877年(明治10年)には翌1878年(明治11年)開催のパリ万国博覧会に際して万博審議官として渡仏した。この際日本から庭師を同行させ、会場内に本格的な日本庭園を造営したという。

その後、日本初の国策貿易会社「起立工商会社」のパリ支店長に就任。日本の漆器や金属工芸品を欧州市場へ供給する傍ら、1888年に開催されたバルセロナ万国博覧会など欧州各国の博覧会で審査官を歴任した。これらの功績によりフランス政府や他の欧州諸国から複数の勲章を授与されている[2]。帰国後は東京の京橋にて「みくみ屋」を経営しフランスワインの輸入販売などを行った。

親族

  • 妻:アイ - 五条為栄(子爵、元老院議官)の二女。
  • 義弟:五条為功 - アイの弟。貴族院議員。

人物・逸話

脚注

外部リンク

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