生と死という人間にとって根源的な2つのテーマを幻想画に描き続け、戦後芸術の幻想絵画を代表する日本のシュールレアリズムを論じる時、欠かすことができない作家。22歳の時、日本画の中村貞以にし、院展、新制作展に発表を続けた。1971年、日本画として初めて文化庁在外研修員として渡欧、フッターやフックスに出会い、混合技法を学ぶ。ウィーンでブリューゲルやボッシュなどの中世画と巡り会うのと前後して、中村正義らとともに「異端の日本画家」と呼ばれるようになる。日本画、洋画という壁を超えて「エロスをいかに白日の元でいかに美化できるか」をテーマに、バラと女をモチーフにした「薔薇刑」を描き続けた。