大津晴弘
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宮崎県出身、幼少時代を東京で過ごし東京歯科医学専門学校卒業後中国に渡る。終戦後日本に戻り築地に診療所を開設。趣味は歯医者と言われるほど歯学の研究と治療に没頭した人生だった。良い意味で純粋、悪く言えば世間知らずの内弁慶で、50代くらいまでは、厳格で怖い人であった(三男、隆弘談)。患者さんには「治療代を請求しない先生」(私の街の歯医者さん1999年5月号追悼記事引用)として慕われていた。
謙虚で先輩後輩や肩書きに拘らず人に平等に接する人としても知られ、長身でスマートな体型のダンディーな容姿とともに内外問わず人望の厚い人物であった。
家では「やだー、やだー、やだー」という愚痴が多かったという意外な一面もある、研究が上手く進まなくて悩んでいるときに多かった(三男、隆弘氏談)。自宅の庭での薔薇の木の栽培は好きで行っていた。また、カエルの置物も好きで収集していた。
83歳まで現役で治療と後継者育成に専念し、晩年は熱海の療養施設で過ごす。4人の息子をもうけ、長男:一恭氏、三男:隆弘氏、四男:博司氏を歯科医として輩出。隆弘氏は銀座にオピアン・デンタル・オフィスを開業し、父親の意思をついでオピアンキャリア法の普及啓発に努めている。