足利氏の被官の中でも足利一家との密着性の高い古参の人物であった。1333年の足利尊氏挙兵以来尊氏、直義に随従。六波羅攻略で奮戦、九州下向にも従い、尊氏が征夷大将軍に任命され幕府を設立すると小侍所に任ぜられ、尊氏の天龍寺供養の際は供奉人をつとめた。暦応元年/延元3年(1338年)には、若狭国守護に任命されている。
やがて直義と尊氏の側近高師直が対立するに至ると、重成は直義を支持し、そのため若狭守護職を没収された。しばらく直義に従っていた重成だが、後に尊氏に帰順し、再び若狭守護に再任されている。没年は『大高系図』を典拠とするものである。