大鳴門太三郎
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初名は春日森と名乗り大阪から京都(松ヶ枝門人)に移籍して関脇を務める。1886年10月大阪に帰参。大鳴門と改め西に張り出される(三役格)。1887年9月関脇、1888年9月も同地位だったが、場所前に大阪協会の首脳陣と意見が対立、同志を募り「広角組」を結成した。広角組では大関と頭取を兼ね中心的存在として奮闘した。1891年5月には広角組として東京相撲に参戦、幕内格で取ったが散々な成績(広角組8人中2勝が3人、1勝が2人、あとは0勝)で大鳴門自身も1勝も上げられずこの場所限りだった。1895年10月大阪協会と和解し頭取として復帰、門下育成に尽力し勝負検査役を務めた。1900年5月4日数え45歳で没。
主な成績
- 幕内成績:3敗7休(東京)大阪での成績は不明
- 幕内在位:3場所(大阪)1場所(東京)
改名歴
- 春日森