永仁2年(1294年)日像菩薩が上洛の途次、北紺屋小兵衛の要請を受けて疫病で苦しむ今宿村の村民に祈祷を行い全快、全村をあげて真言宗から日蓮宗に改宗したという。その後、妙文(日像の弟子)が堂宇を建立し現在の寺号を公称した。永正3年(1506年)越前守護職の朝倉貞景が寺領として10石を寄進した。天文14年(1545年)朝倉孝景の頃には殺生禁断の制札を立てられる程の興隆を見せる。慶長3年(1598年)豊臣秀吉は境内地900坪を寺領と定めた。正徳2年(1712年)日閑(29世)が中興となり境内を拡張し本堂を再建、その後客殿と庫裡が再建され寺観が整った。