安富元綱
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生涯
元綱は細川勝元に仕え、家宰として京都で勝元に近侍していた。
応仁元年(1467年)に応仁の乱が起こると、元綱は香川氏と共に讃岐の軍勢を指揮し、京都を転戦。また、安富氏は山城国西岡の野田氏らも被官化していたようで、元綱は彼らも率いて軍事行動をしていたことが諸史料に見える。
戦局が西軍有利となる中、10月3日、西軍は東軍の本陣であった相国寺を一気に攻撃した(相国寺の戦い)。元綱は3000騎を率いて相国寺を守ったが、一部の僧侶が西軍に内応して相国寺内部から火を放ったことから東軍側は動揺し総崩れとなった。元綱は敵の猛攻撃を押し返し奮戦したものの、激戦の末、弟の盛継と共に壮絶な戦死を遂げた。相国寺の戦いは応仁の乱でも激戦の一つであり、その一部始終は「応仁記」に詳しい。
元綱は殊の外勝元の信頼が厚かったようで、元綱の戦死は勝元を大いに落胆させたという。また、東軍側の諸将もその死を嘆いたという。
その他
外部リンク
- 応仁記30 相国寺炎上の事1 - ウェイバックマシン(2016年6月29日アーカイブ分)
- 応仁記31 相国寺炎上の事2 - ウェイバックマシン(2016年6月30日アーカイブ分)