安田義資

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生誕 不詳
別名 田中太郎(通称)
官位 従五位下、越後
 
安田 義資
生誕 不詳
死没 建久4年11月28日1193年12月23日
別名 田中太郎(通称)
官位 従五位下、越後
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝
氏族 甲斐源氏
父母 父:安田義定
義高義広義継
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安田 義資(やすだ よしすけ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将鎌倉御家人甲斐源氏の一族で、父は安田義定

安田義定の嫡男として生まれる。文治元年(1185年)8月29日、源頼朝の命で越後の国司となる。翌30日は従五位下に叙位された。文治5年(1189年)7月から始まる奥州合戦に従い、軍功を挙げた。

建久元年(1190年)11月には源頼朝の上洛に従って入京した。しかし、建久4年(1193年)11月27日の永福寺薬師堂供養の際に、女房艶書を届けたとの科で、梶原景時の讒言に遭い、翌28日、源頼朝の命を受けた加藤景廉によって殺害され、鎌倉にて梟首されたという(『吾妻鏡』)。

永福寺は、頼朝が奥州攻めで亡くなった武将たちの鎮魂のため建立した寺院であり、その供養の際の義資の相応しくない態度が、安田一族の粛清の口実にされたと思われる。

義資死後と子孫

参考文献

関連項目

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