室積徂春
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1886年(明治19年)滋賀県大津市に生まれる。13歳から俳句を始め、正岡子規に入門、岡野知十にも学ぶ。早稲田大学に進むも、突如役者になると言い出し中退。新派の喜多村緑郎の一座に大木緑二という芸名で加わるが、しばらくして退団。役者業の断念を決めた巡業先の愛媛県宇和島市にそのまま住み、1913年、南予時事新聞(現在の愛媛新聞)に入社。また翌年には婿入りし室積姓となった。子規亡き後は高浜虚子門下としてホトトギスに拠り、虚子の『進むべき俳句の道』にて賞賛されホトトギス派の有力俳人となる。1914年には婿入り先の室積家の娘で同じく俳人の妻、室積波那女とともに再び上京。佐藤紅緑の俳誌「とくさ」を編集。1927年、自らの結社「ゆく春」を主宰し、見學玄や藤田旭山、西山東渓らを育てた。1956年(昭和31年)、69歳で没。北海道士別市のふどう公園に句碑がある。墓所は東京都品川区南品川の天妙国寺。
句集、編著
- 『とろ火 貞武俳句集』(1935年・ゆく春発行所)
- 『北斗』(1937年・ゆく春発行所)
- 『旭山第一句集』(1938年・ゆく春発行所)
- 『定本・室積徂春句集』(1968年・俳句研究社)