寛助 From Wikipedia, the free encyclopedia 寛助(かんじょ、天喜5年(1057年)- 天治2年1月15日(1125年2月19日))は、平安時代後期の真言宗の僧。父は右大弁源師賢。成就院大僧正・弁大僧正・法関白とも称される。 仁和寺経範の室に入って密教を学び、性信入道親王(しょうしんにゅうどうしんのう)から灌頂を受けた。白河法皇からの信任が厚く、1099年(康和元年)権律師に任じられて以降、遍照寺別当・仁和寺別当・東寺長者・東寺法務を歴任した。1113年(永久元年)鳥羽天皇の病気平癒の修法の報償として、東寺結縁灌頂の小阿闍梨(こあじゃり)が僧綱に任じられる慣例のもとを築いた。その後も、広隆寺別当・法勝寺別当・東大寺別当を歴任し、1121年(保安2年)大僧正に任じられた。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。表示編集 Related Articles