宝田恵比寿神社
東京都中央区にある神社
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歴史
創建年代は不明[3]。後の江戸城呉服橋御門内にあたる宝田村の鎮守社だったが、慶長11年(1606年)同村が郭外の未開発地に移転して大伝馬町・南伝馬町の両伝馬町が成立すると、当社は大伝馬町二丁目北側新道(北横町)の名主馬込勘解由所有地奥に安置された[4]。
常盤橋南側土手の旧社地には江戸時代を通じて建物と鳥居が残され、江戸時代を通じて常盤橋門番により維持管理された[5]。明治時代に撤去されると、近所の子供は跡地を「いなり山」と呼んで遊び場とした[5]。
文化11年(1814年)刊『十方庵遊歴雑記』によれば、当時は初午を祭日とする稲荷神社であり、旧村名を音読みして宝田(ほうだ)稲荷と称していた[6]。初午の日には神田明神から社人が来て神楽を演奏し、供物を捧げた[7]。
文政年間、馬込家所有地より大伝馬町一丁目北側新道(北横町)の現在地に移転し[8]、同町の木綿問屋等による共同管理となった[9]。この時期には馬込家が一時的に幕府から名主・伝馬役を停止されており、これに伴う措置とも考えられる[9]。
1873年(明治6年)1月6日、神田神社の兼務社となった[2]。
1923年(大正12年)の関東大震災では、1878年(明治11年)8月築の本殿は焼け残り、拝殿は1924年(大正13年)3月に再建された[3]。1945年(昭和20年)の東京大空襲でも、近くに焼夷弾が落下したものの、社殿には被害がなかった[10]。明暦の大火、安政江戸地震にも焼け残ったといい、このため火防の神としての信仰も広まった[10]。
1961年(昭和36年)、宝田村からの遷宮350周年を記念して新社殿造営奉賛会が設立され、1963年(昭和38年)10月18日に鉄筋コンクリート製社殿の落成奉祝祭が行われた[11]。
現在秋の祭礼となっているべったら市は本来当社とは無関係だったが、市の隆盛に伴い当社の祭神にえびす神(事代主命)が加えられ、いつしか宝田恵比寿神社と称されるようになった[12]。
