寺島良安 From Wikipedia, the free encyclopedia 寺島 良安(てらしま りょうあん、1654年(承応3年)- 没年不詳)は、江戸時代前期から中期の医師である。字は尚順。別号に杏林堂。名字の読みは「てらじま」とする資料もある。 出羽の能代(一説に大坂の高津)で商人の子として生まれる。 後に大坂に移り、同郷の伊藤良立及び和気仲安の門人となり医学や本草学を学んだ。後にこの業績により、大坂城入医師となり法橋に叙せられる。この間に明代の医学の影響を受けた著書を多く刊行し、学業における和漢の概念を唱える等名を馳せた。その後の生涯は不明であるが、享保の頃に没したといわれている。 主な著作物 主著 『和漢(倭漢)三才図会』- 1712年(正徳2年)に刊行。全105巻からなり、明代の『三才図会』を参考にして執筆された絵入り百科事典。日本における大百科事典の発端といわれている。 その他の著書 『通俗三才諸神本紀』 『済世宝』 『弘法大師略伝』 等。 出典 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『寺島良安』- コトバンク 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『寺島良安』- コトバンク 世界大百科事典 第2版(平凡社)『寺島良安』- コトバンク 外部リンク 寺島良安 典拠管理データベース 全般 VIAF 国立図書館 日本 その他 IdRef この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles