小キュロス
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生涯

キュロスはペルシア王ダレイオス2世とダレイオス2世の異母姉妹の王妃パリュサティスの間に次男として生まれた。キュロスは父が紀元前423年1月頃に王位に就いた後に生まれた。プルタルコスの『対比列伝』によると、キュロスは気性が荒くせっかちな性格であった。
紀元前408年頃、キュロスはリュディア、大フリュギア、カッパドキアの総督にしてカストロス平原に集結するすべての軍の総司令官に任命された。キュロスはペロポネソス戦争に介入し、スパルタのリュサンドロスを支援した。最終的にこの戦争はアテナイの敗北に終わった。
父王は臨終に際し、長男にしてキュロスの兄であるアルサケスとキュロスを傍に呼び出し、キュロスはティッサフェルネスらとともに父王のもとに向かった。そこで、母パリュサティスは、父が王となった後に生まれたとして、溺愛するキュロスを後継者にするよう主張した。しかし、父王はこの主張を退け、王となる前に生まれていた兄アルサケスを後継者に指名した。紀元前404年初め、父王が崩御すると、兄アルサケスはアルタクセルクセス2世として王位を継いだ。これに不満を持ったキュロスはパサルガダエで即位式を行っていた兄王を暗殺しようとしたが、ティッサフェルネスの密告によって失敗に終わった。しかし、パリュサティスの介入によってキュロスは恩赦を受け、リュディアに戻ることができた。
リュディアに戻ったキュロスは兄王に対する反乱を準備した。キュロスは約1万人のギリシア人傭兵や以前支援していたスパルタからの700人の重装歩兵と軍艦で構成された援軍などを手中に収め、これらの軍をピシディア人への攻撃を口実にリュディアの都サルディスに集めた。紀元前401年春、キュロスの軍はサルディスを発ち、帝国の心臓部のある東に向けて進軍した。一方、ティッサフェルネスの警告を受けた兄王は大軍を率いてキュロスに対抗した。サルディス出発から180日後の秋、両軍はバビロニアのバビロン近くのクナクサで激突した(クナクサの戦い)。キュロスの軍はギリシア人傭兵の活躍などによって優勢であり、キュロスは敵陣中央に突出して兄王の胸を槍で刺すことができたが、キュロス自身は敵の槍に刺されて戦死してしまった。
キュロスの死により敵地で取り残されたギリシア人傭兵はその後苦難を伴いながら退却した。その指揮官であったクセノポンはギリシア人傭兵の帰還までの旅を『アナバシス』で描いている。その中で、クセノポンはキュロスをキュロス2世以来最も王にふさわしいペルシア人として称賛している。
参考文献
- Pierre Briant: From Cyrus to Alexander: A History of the Persian Empire. Winona Lake 2002.
- Josef Wiesehöfer: Das antike Persien 550 v. Chr bis 650 n. Chr. Patmos, Düsseldorf 2005, ISBN 3-4919-6151-3.