小田村寅二郎
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生い立ちと教育
東京府東京市四谷区に小田村有芳の次男として生まれる。大正9年(1920年)4月、学習院初等科入学。大正15年(1926年)4月、学習院中等科入学。同年9月、東京府立第一中学校編入。中学卒業の頃に肋膜炎に罹患し、療養生活に入る。昭和8年(1933年)4月、第一高等学校文科丙類(仏語専攻)入学。一高では田所廣泰が主宰する昭信会に入会した。
東大時代と
一高卒業後、1年の白線浪人を経て、昭和12年(1937年)4月に東京帝国大学法学部政治学科入学。矢部貞治助教授(近衛文麿の昭和研究会に参加。戦後に拓大総長、中曽根康弘ブレーン)の講義内容を巡るいわゆる「小田村事件」が起こり、平賀粛学、大政翼賛会成立の後、寅二郎は無期停学、退学処分となった。なお、この際の小田村・田所と矢部との往復書簡は1941年に『教育はかくして改革せらるべし』、『日本政治学原理を追求して』の題で出版されている。
政治活動
昭信会などが発展した日本学生協会が昭和15年(1940年)5月に結成されると寅二郎は理事となり、田所廣泰を支えた。顧問には近衛文麿をはじめ、末次信正、三井甲之などを迎えた。なお、日本学生協会は東京憲兵隊による検挙がきっかけで昭和18年(1943年)10月に解散している。昭和31年(1956年)4月に設立された国民文化研究会は日本学生協会の実質的な後継団体である。
昭和47年(1972年)4月、亜細亜大学教授に就任。
平成11年(1999年)6月4日、逝去。