1840年(天保11年)、土佐藩上士(馬廻格・250石)小笠原茂房(弥八郎)の二男として高知城下(現高知県高知市江ノ口)に生まれる[2]。小笠原唯八の実弟[1]。先祖は三河奥平氏で、徳川家康に仕えた家柄[1]。(詳細は小笠原茂連の系譜を参照)
平素より尊皇の志高く、1868年(慶応4年)、戊辰戦争に際しては官軍土佐藩の主力部隊である迅衝隊の第三番隊長に任ぜられ従軍する。
甲州勝沼の戦いなどを初め各地を転戦し功名を挙げる[2]。
1868年(慶応4年)8月23日、賊魁の潜む会津城攻撃に際し、敵弾を受けて兄・小笠原唯八(牧野群馬茂敬)らと共に討死[1]。享年29。
墓は会津の東明寺(現 福島県会津若松市)にある[2]。
みたまは高知縣護國神社と靖国神社に奉祀されている[2]。