福山誠之館高校、備後通運から専修大学へ進学。東都大学リーグでは在学中4回優勝。同期のエース坂井勝二の陰に隠れがちだったが、坂井は3年で中退しプロ入り。その後はエースの座を引き継ぎ、4年生時は1960年春季リーグで8勝2敗を記録。チームは2位に終わるが最優秀投手、ベストナインに選出される。同年秋季リーグでは8勝3敗を挙げて優勝に貢献、最高殊勲選手とベストナインを受賞。リーグ通算36試合登板し18勝6敗、防御率1.59、141奪三振。坂井以外の大学同期に小池兼司、1年下に堀込基明がいる。
1961年に広島カープへ入団。同年は17試合に登板、8月には2試合に先発するが結果を残せず、1963年限りで引退。その後は二軍マネージャー、スコアラーを務めた。
1999年9月16日、山口県下松市の国道をトラックで走行中にセンターラインを越えてしまい防長交通のバスと正面衝突。61歳で事故死した。