山本盛備
From Wikipedia, the free encyclopedia
禰寝氏(根占・小松氏)の庶流の一族で、史料より確認できる最初の先祖は島津氏の日向侵攻の際に功績があり、『上井覚兼日記』宮崎衆中と記載されている山元備前守(『上井覚兼日記』では「山本」とも作る)。その養孫壱岐守の曾孫である山本五郎左衛門盛香と、その3番目の妻である小野甚五左衛門の娘との子で、盛香の三男にあたる。三男であるため分家して一家創設。野田郷や日当山郷の地頭を務めた山本五郎兵衛と山本宇源多は盛備の兄と甥にあたる。
横目を務め、天明2年11月4日から翌年までの大阪駐在の薩摩藩役人との行政文書が「元禄時代天明時代薩藩雑史料」に掲載されている。また小野蘭山に師事して本草学を学び、恕斎と号す。庭奉行となり、役料27俵をもらう。なお、庭奉行になった年は不詳。
福島玄佐の娘を妻とするも嗣子がなく、甥で異母兄の子山本盛賢を養子とする。盛賢は右筆まで勤めるが、盛備よりも早く死ぬ。その後、養孫で盛賢の子、五百助盛珉が生まれたので、これを養育する。