岸田實
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来歴
台湾出身。出生時より岸田氏に養子に出される。岸田氏は、京都府舞鶴市野村出身。岸田氏方の親戚には岸田久吉、岸田正吉などがいる。実父方の森氏は奄美大島で銃火薬を扱っていた家系である。実母方は大森氏で宮崎県出身。
台北第一師範学校附属小学校、台北高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学法学部卒業。台湾総督府に勤務。同総督府では、法制事務を所管する官房審議室、書記官、台南州北門郡郡守[1]などを歴任。
終戦後は台湾総督府残務整理事務所で勤務後に日本に引揚げ[2]、国会職員として勤務。1947年には内閣事務官・逓信事務官を兼務。1949年に参議院法制局に入り、参議院記録部長、参議院委員部長、参議院法制局第二部長を歴任。第二部長時代には文化財保護法の制定に貢献。その後、1965年参議院事務次長を経て、1972年第6代参議院事務総長に就任、伯仲参院で河野謙三議長が「万事、岸田実前事務総長に相談してはことを運んだ」と言われるなど、同氏の「良き女房役」を果たしたと評される。1977年に退任し、同年第6代国立国会図書館長に就任。館長時代には同館建築委員会委員長として、本館北側に別館を新築する決定を下した。1981年に同館長を辞任。1984年にはそれまでの功労により勲一等瑞宝章を叙勲。
退任後も、全国治水砂防協会で評議員や常任監事を勤めるなどした。
また、故郷である台湾に関する活動も継続した。一般財団法人台湾協会第6代会長、後1989年からは同協会第7代理事長を歴任。理事長就任時の挨拶を以下に引用する。
「先般任期満了に伴う役員改選にさいし、安井理事長が再任を辞退されましたため、不肖私が安井さんの後任として選任されました。私は台湾で生まれ、育ち、やがて学窓を出た後、社会人としても台湾に生活の場を与えられ、終戦後日本に引揚げるまでの前半生に、深き影響と共に多大の恩恵を台湾の自然及び社会から受けてきたのであります。 このような私にとりまして、このたび(財)台湾協会の運営にあたらせていただくことは、まことに光栄であり、また本懐とするところです。同時に終戦直後の困難な時期から今日に至る長年月の間、先輩諸氏が並々ならぬ苦心と努力を傾け、その奉仕的活動の積み重ねによって、今日の台湾協会が築き上げられたのであります。この事に思いを致すとき、その責任の重かつ大であることが痛感せられて、身の引き締まる思いがいたします。」
同理事長時代には、(財)台湾協会四十五年史の編纂にも同編纂委員会委員長として携わった。
また、母校である台北第一師範学校附属小学校同窓会「榕蔭会」の会長も務め、『台湾台北第一師範学校附属小学校の沿革:年表』の編纂にも携わる。
2012年12月12日に死去、喪主は長男の岸田啓一。
親族
著書
参考文献
- 国立国会図書館長(1977年 - 1981年)
- (おくやみ)岸田実氏が死去 元国立国会図書館長 - 日経新聞